今日のお話

 

~ お 念 佛 に 生 か さ れ て ~

 

 平素、私たちは目に見えるものを当てにしながら生きています。

 

 言い換えますと五感、即ち、目で見て、耳で聞き、鼻で嗅いで、舌で味わい、そして肌で触れることを駆使しながら生活しているということです。

 

 一方、目で見たり、手で触れたりすることができないものは軽視されがちですが、そこに人間としての大切なものがあるように思えてなりません。

 

 平素、ありのままの真実・真如に疎(うと)い私たちであるからこそ佛法を聴聞し、" 生かされて生きるいのちの尊さ ” に目覚めることが大切だと思います。

 

 『生きる』という表現からは、自らの五感に頼る生き方を想像してしまい勝ちですが、『生かされて』と申しますと思議できない多くの『ねがい』、『いとなみ』、『はたらき』を感じ得ることができます。

 

 人間誰しも、目で見ることができない多くの支え、育み、願いがかけられ、自分以外の”ちから”によって各々が形成されているのですが、それに気づけないのが私たちなのであります。

 

 このことは、2500年前にお釋迦さまが顕かにされ、700有余年前に宗祖親鸞聖人によってお諭しくださっております。

 

 こうしたことを思い廻らしますと、私たちは『生きる』というよりも正確には、『生かされて、生きる』という表現の方が正しいのではないでしょうか。

 

 今一度、この私を支え育み、願いを掛けてくださっている大きなはたらきに心を寄せ、報恩感謝の中で、ふと気付けば、 ” ひとりでにお念仏を称していた ” というような相でありたいものです。 

                         合掌 南無阿弥陀佛